戌年だから猫について語ってみよう(錯乱)

ワタシが「猫って可愛い」と初めて思ったのは、3歳か4歳のとき。

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当時はまだ長時間ひとりで留守番ができず、母が美容院に行くときは一緒に行って、待合スペースで絵本なんかを読みながらパーマが終わるのを待っていた。

 

その美容院には、黒猫がいた。

まるまるとした大きな黒猫(といっても子どもの目から見た感想なので、実は小柄な子だったのかも)はとても人懐こく、ソファに座ったワタシの膝に乗って当然のように丸くなり、ぐうぐうと眠ってしまった。

膝に受ける重みと温かさ。毛のつやつやふわふわな感触。何の憂いもなさそうにつむる目。
猫って可愛いな…。
と、そのとき初めて思った。

母が会計を済ませても黒猫はどく気配がない。
「帰るよ」と母に言われ、「でも猫ちゃんが…」とおろおろしたのをよく覚えている。
黒猫は美容師さんに乱雑に移動させられ、せっかく猫ちゃんが寝てたのに…とこれまた狼狽したのも覚えている。

今にして思うと、眠りの浅い猫が寝ている最中にあちこち移動させられてもどうってことあるまい。
ブリ男の下で寝返りを打ちながら、そんなことを考えた。
布団の上のブリ男は「ふー」と溜息をつくだけで、ワタシの寝返りに頓着せず眠り続けている。

 

ワタシと猫との蜜月は長くはなかった。

美容院の待合スペースで絵本を与えられていれば何時間でもおとなしい幼児も、一歩外へ出れば怪獣だ。
ましてや自分の縄張りたる幼稚園内ではシンゴジラ並みの傍若無人。
幼稚園に華奢な三毛猫が迷い込んできたとき、「きゃーっ! 猫ちゃん可愛い~っ!」と嬌声を張り上げて追いかけ回してしまった。

当然三毛猫は怒る。
棚の下に逃げ込んだのに、さらに手を突っ込んでくるワタシにシャーッと威嚇をする。
それを威嚇と理解していないワタシは三毛猫を撫でようとし、猫パンチをくらった。

手の甲に走るみみず腫れ。

ワタシはショックだった。
自分は猫を好きなのに、猫はワタシを嫌っている。
こっちが好感情を抱いていれば相手も返してくれるという幻想を抱いていた幼児にとって、「世界って厳しい…」ということを生まれて初めて思い知らされた瞬間だった。

これまた今にして思うと、幼児の柔らかい肌に赤い引っ掻き跡をつけるだけなんて、ずいぶん手加減してくれたものだ。
その後、小学校で飼っていたウサギに指を差し出したら流血する勢いで齧られたとき、猫って賢いな…と件の三毛猫を懐かしく思い出した。

その後、何十年もワタシと猫との交流は途絶する。

三毛猫のせいで猫を嫌いになったわけではない。
実家で犬を飼い始めたからだ。

 

実家の犬は大柄なくせに内弁慶の臆病者で、ワタシが外でほかの犬や猫の匂いをつけてこようものなら鼻がもげるんじゃないかというくらい嗅ぎまくった。

特に猫はその犬の天敵だった。

夏休み、犬を連れて祖父母宅に泊まりに行ったところ、そこの庭を縄張りにしていた猫数頭と喧嘩になった。喧嘩というか、一方的に犬が攻撃され、鼻の頭に引っ掻き傷を作っていた。
犬はブリ男と同じくよく食べる子で、人の顔を見る度に「何かチョーダイ」とワクワクしていた。その子が祖父母宅から帰ると、夕食も食べずに眠っている。
猫がいるという緊張感から祖父母宅ではろくに眠れなかったらしい。

それですっかり猫嫌いになった犬に猫の臭いを嗅がせるのも可哀想なので、外で猫を見かけても「犬が嫌がるからな」とワタシから近づくことはなかった。

 

そうそう。猫を避けていた十数年間にも、一度だけどうしても猫を触らざるをえなかったことがある。

隣家の黒猫が出産し、仔猫を引き連れて実家の庭で寛いでいたことがあったのだ。

いつもは庭に犬が闊歩しているから猫は寄りつきもしないのだが、祖父母宅に連れて3日ほど留守にしただけで猫には縄張りと見なされてしまった(犬のいない今となっては数代後の猫がウッドデッキで昼寝し、猫嫌いの母が困っている)。

犬が戻ってきたことに気づいた母猫はせっせと仔猫を隣家に移していたけど、1匹だけ戻し遅れた。
犬はバウワウと激しく吠えながら仔猫を庭の隅に追い詰め──だが怖いので1メートル以上は決して近づこうとしない──、黒猫は警戒心丸出しの顔をして隣家の敷地から犬を睨んでいる。

犬の異様な吠え方に気づいて庭に出るとそんな状況になっていることを母に説明され、アンタ仔猫を戻してよ、ということになった。
そんなわけで母が犬を保定し、ワタシが仔猫を拾うことになった。

取り残された仔猫は、母猫に似て真っ黒だ。
伸び放題の夏草の中に埋もれてじっとワタシを見ている。

ワタシが手を伸ばすと、いっちょまえにシャーッと威嚇をする。
草の中から持ち上げてみると掌に収まってしまいそうなサイズだった。
こんなに小さくても一人前に威嚇するんだなあ、と感心した。

すぐに母猫の傍に降ろしてやると、母猫が感謝の眼差しでワタシを見つめた。
…ということはもちろんなく、「アンタ何ぐずぐずしてるのよ。さっさと返しなさいよ」なんて目つきでワタシを睨んでから仔猫達と隣家の裏庭に移動してしまった。
(仔猫を掴んだ手を犬がスンスン嗅ぎまくったのは言うまでもない。)

仔猫を隣家に戻す以外は猫に触ることもなく、十数年が過ぎていった。
その間、対犬スキルは向上するばかり。

犬を散歩させてりゃ同じく散歩中の犬と遭遇し、お互いに「可愛いですね~」なんて言いながら撫でさせてもらったり(そしてその手をウチの犬がスンスン嗅ぎまくる)なんてことは珍しくない。
そんなことを十数年もやっていれば対犬スキルが向上するのは当然と言える。

散歩中の犬と目が合えば寄ってくるし。
寄ってきたのでこちらがしゃがむと膝に乗ってくるし。
初対面の犬とプロレスして遊んでやると、膝の上で寝るくらい懐くし。
海外でも飼い主の許可を得て「よーしよし、いい子だね~、可愛いね~」と褒めまくって撫でると腹見せゴロンされるし(言語関係ないのね)。

と、ワタシがどんな犬でもOK! となればなるほど、猫には嫌われるようになった。

どうやらワタシが犬に対するのと同じテンションで接するのが猫的にはイヤみたいで、ワタシと目が合うと野良猫はすっ飛んで逃げてしまう。
手を差し伸べると尻尾が膨らむし、猫カフェの猫には「触んないで」と避けられるし、友人宅の猫にはシャーッ! と威嚇される。

ワタシ、猫と合わないのかな…。

猫には嫌われるけど、不思議と猫のことは嫌いにならなかった。
何考えているのかよくわかんないなーとは思うけど、嫌いとか怖いとかは思わない。

というわけで、旅先で猫を見かけると写真を撮った。

猫

猫

猫

猫

旅先の猫は、人間を怖がりはしないが、必要以上に懐きもしない。
可愛く鳴いてエサをもらって、それだけの関係性とドライに割り切っている。
だからチュニジアのホテルで部屋に黒猫が入り、猫好きの友人と一緒にベッドで寝始めたときは「何だコレ」と思った。

猫

ワタシも一緒に寝てくれるような猫と暮らしたいな。
いつかの黒猫のように、膝で丸まってくれる子がいないかな。

と、猫を飼うのを夢見始めたものの、しばらくは猫を飼える生活ではなかったこともあって、ずっとただの妄想に終わっていた。

それが去年の春、突然ブリ男がやってきた。

残念ながらブリ男はワタシの膝に乗らない猫だが、ベッドで一緒に寝てくれる。
うっとりした顔でワタシの顔をベタベタと触り、盛大に喉を鳴らして甘えてくれる。

ワタシの顔を見れば逃げるのが猫。
というのがここ三十年余の認識だったので、ワタシと目が合うだけで喉を鳴らすブリ男を見ると不思議な気分になる。

 

何年先かわからないが、ブリ男が天国に引っ越した後、ワタシはもう猫を飼わないと思う。
もちろん犬も。

実家の犬が死んだとき、ワタシは後悔ばかりしていた。
どうしてもっと一緒にいてやらなかったのか、この子はウチに来て幸せだったのか、そればかりを考えて毎日泣いていた。

ランドセルを背負い始めてから就職するまでという人生の激動期を一緒に暮らしたわけだから、犬が生活の第一にならないのは当然だ。友人や部活や恋愛や、少女にとって楽しいことが家の外にいっぱいあるわけだから。
でも、ワタシ達家族に依存するしかない犬にしてみたら、家族の関心がよそに移ってしまうのはあまりにも淋しいことではないか。そう考えて、既に世にない犬に詫びてばかりいた。

犬を喪って二十年近く経ち、犬と一緒に暮らした時間をとうに越えてしまった。
時間薬とはよく言ったもので、犬を亡くしたときの哀しみや罪悪感は犬と暮らしたときの喜びと同等の大事な思い出になっている。
あの後悔ですら犬がワタシに与えてくれた大事なものなのだ。

犬が一生を掛けてワタシに与えてくれた喜びや痛みの重さを思い返すと、ワタシの人生には犬はあの子だけでいい、と思える。
もし仮に、万一ワタシが家族をもって、その家族が犬を飼いたいと言い出したら、ワタシは賛成するだろう。だが、その子は自分が多感な時期に愛し愛された犬の代わりにはならない。

同じように、生まれて初めて一緒に暮らした猫であるブリ男は、ワタシにとって唯一無二の存在になるだろう。

犬を幸せにできなかったかもしれないという後悔は今でもワタシの心の中に深く刻み込まれていて、いつかブリ男と別れるときに一片の後悔もないようにワタシはブリ男を甘やかしまくっている。

それでも、ブリ男と別れるとき、もっと愛してやればよかったと後悔するのだ。
それをわかっているのに猫を飼うなんて、我ながら愚かなことをしている。

だが、黒猫がワタシの膝で眠ってしまったあの日から、こうなる運命だったのかもしれない。

投稿者:

りんむじんづ

間取図だけで3杯メシが食え、旅のためだけに日々労働し、美味しいものを好きなだけ食べられるようにジム通いに励む、そんなOLです。最近ブリティッシュショートヘアの男子との同居を始め、ますます極楽な生活を送っています。

2 thoughts on “戌年だから猫について語ってみよう(錯乱)”

  1. 遅くなりましたが、あけましておめでとうございます!
    新年早々、良い錯乱っぷりですねw
    いいんです、どんどん錯乱しちゃってください

    ご実家のわんちゃんのお話、自分のことのように読みました。実家にペットを残したまま独立した人間は、同じ思いを抱えてるんですよね
    私はその後別れが怖くて、観葉植物すら育てられずにいるのですが、りんむさんは覚悟なさったんですね
    ブリちゃんがずーっと健康で、りんむさんのそばで幸せに過ごせますように

    1. ひまわりサマ
      今年もよろしくお願いいたします。
      新年早々錯乱してます笑

      犬にせよ猫にせよ飼うには最後のチャンスかなーと考えて思い切ってみたのですが、年末の誤飲騒動での慌てっぷりを思うと覚悟しきれていたか微妙です。
      毎日ブリ男とうふうふ過ごして、めいっぱい楽しく暮らして、丁寧に面倒を見て、それしかないですね。

      今年も甘やかしっぷりをレポートしますのでよろしくお願いします!

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