[捨てたい!]どうしても捨てられない、でも捨てたモノ

久しぶりに雑誌を衝動買いしました。

クロワッサン表紙

クロワッサンの6/25号。
特集は「捨てたい!」

捨てたいのに雑誌を買ってしまうとは不思議なことですな。

スッキリ気持ちよく片づいているお宅と、「どうしてこんなにモノを溜め込んだし!」というお宅、両方掲載されています。
片づいている部屋を見ては「ウチもこれくらいスッキリさせたいわねえ…」としみじみし、片づいていない部屋を見ては「ああ、捨てたい! ワタシに片づけさせてくれ!」と身悶えし、なかなか見応えがありました。

そして「できれば捨てたいことは何か」というアンケート結果の1位が「夫」…。
ご夫婦って大変なんですねえ。お気楽なおひとりさまには衝撃でした。

修繕の職人さんやゴミ処分場についての記事もあり、単に捨てるだけではなく一歩踏み込んだ特集となっていました。
部屋の片づけのモチベーションを高めるのにオススメです。

さて、ワタシの部屋の「捨てたい!」について考えてみますと。

ダイニング

足かけ3年に渡って実施した断捨離とこの春の引越のおかげで、捨てなきゃいけないモノは見当たりません。
参考:シンプルな部屋が好きな理由
参考:《引越の感想》モノの量と部屋の広さについて

服と鞄はもう一絞りした方がいいよな…という意識はあるけど、とりあえず現在所有している分は全部収まるだけのクローゼットがあるから急いで処分しなくてもいいかと割り切っています。
参考:【web内覧会】クローゼット

しかしそもそもコレクター気質なところがあるワタシ、ここに至るまでは決してラクではありませんでした。
断捨離の過程で大きく躓いたのは、次のモノの処分を決意するときです。

旅先で買った食器

アジアン雑貨ラヴだった時期に、ヴェトナムで買った食器。
水差し
このセラドングリーンの色合いが大好きでして、写真の水差しだけでなくプレートや碗なども大量に購入してきました。

セラドンの皿
こんな食器が欲しいな~と思い続けた期間、現地でオシャレな店を見つけたときの高揚感、欲しいモノを欲しいだけ買えるという開放感(当時は今より稼いでいた)、重い思いをして日本までせっせと運んだ思い出…。
そういういろんな気持ちが見る度に甦るわけですね。

しかし、冷静に自分の好みを分析すると、今はそこまでアジアンテイストが好きなわけでもありません。
徹底的にムダを省いた和、なんて趣の方に惹かれます。
和室

今好きなテイストと過去好きだった(そしても今も決して嫌いではない)テイストをミックスして部屋に置くセンスはありません。
では昔のモノを収納しておいて、またワタシの中でアジアン旋風が巻き起こったときに再度取り出せばいいのでは。とも考えましたが、そんな場所はウチにはありません。
なので「今の気分ではないんだけどな…」と薄ぼんやりとした不満を抱えたまま、件の食器を飾っていたのです。

ところが、ある日はたと「今」の自分の好きだという気持ちを押し殺すのが正しいことなのか、疑問に感じ始めました。

現在やこの先のワタシは部屋に置きたいモノも買えず、未来永劫我慢し続けるのだろうか。
過去好きだったモノはそこまで価値のあるモノなのだろうか。
「かつて愛した」という事実は、それほどに捨ててはいけないものなのだろうか…。

先ほども書いたように、ワタシは少々コレクター気質がありまして、好きなモノを好きなだけ買っていたら蔵が何軒あっても足らないことをよーく自覚しています。
でも、ワタシが持っているのは60平米そこそこのマンション。
食器も服も鞄も、爪切りも化粧水も何もかも60平米に収まる分量だけしか所有してはいけないのです。この先もずっと。

そこでようやく「過去に好きだったけど今はそこまででもない」というモノは処分する決心をしました。

決めたものの、処分すると決意してから実際に手放すまでの期間は「そのうち後悔するんじゃないか」とずっと悶々としてました。
処分するときはまさに断腸の思いといったカンジ。半泣きになりながらドナドナしました。

ところが、実際に部屋から追い出してみると、哀しい・淋しいという気持ちよりも「あー、スッキリした!」という気分の方がはるかに強かったです。
なんて薄情なんだワタシ! と自分でもドン引きでした。

でもそれって、所有していることの喜びが薄れてから処分するのを決意するまで悩んでいた間が相当しんどかったことの裏返しです。
今後はあまりモノは買わないようにしよう。買っても「いつか手放す日が来る」というのを覚悟しておこう。手放すのがツラくなるほど執着しないでおこう。そう思いました。

孤独

その後、本も少しずつ処分し始めてみて、やっぱり手放した後のスッキリ感が勝ることを学習していました。
愛着のある食器や本など処分するのがツラいモノを手放してみると、それに比べたら全然思い入れなんてないわーってモノはガンガン処分できます。使うかどうかよくわかんないけどとりあえず家にあったモノとか、間に合わせで買ってそもそもあまり気に入っていなかったモノとか、勢いに乗ってどんどん手放していきました。
汚部屋からスッキリ部屋に昇格し、本棚も小さなものに買い替えると、家の中の空気が変わったように感じるほどです。

しかし、それでもなお捨てられないモノもありました。

日記や写真

こうしてブログをちまちま書いていることから分かる通り、ワタシは記録魔です。
20年分の日記や写真がどっさり残っていました。

百歩譲って、食器なんかはまた買えます。
昔買った皿より何倍も素晴らしいものに出会う可能性があります。その日のために、古いモノは処分して空間を空けておく必要がある。

でも、日記はもう二度と手に入りません。
二十歳のワタシが何に感動したとか、一応覚えてはいます。が、それをリアルタイムに書き起こしたときと同じ熱量で述べられる自信はない。

同じように、スケッチブックや過去の仕事の成果なども捨てられませんでした。
仕方ないのでそれらはひとつの箱にまとめて、クローゼットの奥に押し込んでいました。
でも、その箱がなければ部屋がもっと片づくのに…という気持ちもあります。思い切れない気持ちと捨てたい気分との間をぐらぐらしていました。

そうこうしているうちに2軒目のマンションを買うことになり、10年ぶりの引越が決まりました。
参考:マンション、買い替えちゃう!?

新居の仕様をいろいろ決めているとき、古い日記の保管場所を作ろうとは思い至りませんでした。
そこでようやく「ああ、ワタシはあの日記を処分したいんだ」とはっきり自覚したのです。

せっかくなら写真を撮りながら処分しようと思って古い日記を開いてみると。

…………キモチワルイ…。

日記なんてキラキラしたことばかり書いてあるわけでもなく、そのときの懊悩もがっつり記してあります。それを読むのは結構しんどい作業でした。
特に、最も体調が悪かった頃の手帳のメモはひどいもので、当時のドン底だった気分がまざまざと立ち上がり、とても読めたものではありません。
書くことによって消化した部分はあるので、日記は役目を終えたと割り切ってそのまま捨てることにしました(ごく一部、大学時代のノートの落書きとか面白かった部分だけはちょびっと撮影)。

ついでに、紙焼きの写真も捨てることにしました。
こちらはほとんどのものをカメラ屋でスキャンしてもらって、データは残して紙焼きとネガを処分。
ごっそり嵩が減るわ古い写真を気楽にアップロードすることができるわ、写真についてはさっさとスキャンしとけばよかった~としか思えません。

まだ20世紀のヴァチカン。もうサン・ピエトロ大聖堂に登る根性がないので、この光景の写真はこれが最新。
まだ20世紀のヴァチカン。もうサン・ピエトロ大聖堂に登る根性がないので、この光景の写真はこれが最新。

20年間溜め込んだ日記と写真を処分して、ワタシは一度死んだような気持ちになりました。

ホントはね、還暦で一区切りつけるのがいいんでしょうけど。二十歳で成人だということを思うと、人が2回成人する期間生きていたというのがワタシにとってのひとつの区切りでした。人生のほぼ折り返し地点でしょうしね。

「死んだような」といってもネガティブな意味合いではなく、「さて、もう一度イチから生きてみるか」という気分です。
ちょうどマンションを買い替えるというイベントにもブチ当たり、気分を入れ替えるにはいいタイミングでした。

今思い返すと、まだ頭も身体も動く歳のうちに身辺をスッキリさせるのは、とても合理的なことでした。
家中のモノをすべて見直して、人生の後半戦に手元に置いておきたいモノ・どうしてもやりたいことを精査し、惑わされずに死ぬまでの数十年間を過ごす。
「不惑」とはよく言ったものです。先人の言葉ってスゴいなあ。

「捨てたい!」という気持ちがある方は、人生や暮らし方を見直したい気持ちがあるのかもしれませんよ。
その気持ちのままに部屋のモノを整理してみると、面白い発見があるかもしれません。

スマイスターMagaZineにてコラム連載中!

投稿者:

りんむじんづ

間取図だけで3杯メシが食え、旅のためだけに日々労働し、美味しいものを好きなだけ食べられるようにジム通いに励む、そんなOLです。

「[捨てたい!]どうしても捨てられない、でも捨てたモノ」への2件のフィードバック

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