さて前回、友人に快気祝いをしてもらったのですが。

実は残念ながら全然快気しておらず、何かと悪化して、再び休職に突入してしまったという報告会になってしまったのでした。
椎間板ヘルニアの手術後、職場復帰してしばらくはぼちぼちやっていたのですが、ほどなくして仕事の環境が何かと変わりまして。
まず、仕事のボリュームがどっかんどっかんと増えました。
倍どころか3倍、いや4倍くらいになったんじゃなかろうか。
そのうちの幾ばくかは過渡期を経たら別の人の手に渡る予定でしたが、諸般の事情で年度末が終わるまでの数カ月間はワタシがやるしかないという状況です。
なんかどうも上司はワタシのことをヒマだと思っているようでして、その別の人に渡す幾ばくかがワタシから手離れしたら「りんむさん、その後何するの?」と訊いてくる有様です。
いやまあ、今まではヒマだったことは否定しませんよ。
だからこそ呑気に入院なんぞできたわけですし、評価にまったく直結しない人助けとか自分の仕事の合間にやっていましたし。
しかし、この量はないでしょうよ。
というのが発覚して、それで慌ててデスク環境を整えたわけですね。

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この辺りではまだ、ボリュームがどっかんどっかん増えても、まあなんとかなるだろうという読みの甘さがありました。
が、仕事量だけでなく、このタイミングで環境もごろごろと変わってしまったのです。
今までは割と好き勝手にやっていて、この人とこの人の承認が取れればあとは自由にやり散らかして、結果だけ報告すりゃなんとかなるさ〜みたいなカンジだったのが、一体何人に相談すりゃいいんだ、しかも皆がいろいろとふわんふわんしたこと言うし、そこからまとめて上司に上げて、更にその上にもそのまた上にも上げて、えっ、偉い人がそこまで口出すの? バカじゃないの??
みたいな環境に変わり、ストレスが募る一方です。
更にはその環境変化もすごーくタイミングが悪くて、あの業務とこの業務は時期が被っていなければひとりでなんとかなるけれどみたいなモノが、モロにがっつり被ることになってしまいまして。
これでは到底やり切れないから関わらないように及び腰でいたのですが、ほら上司はワタシがヒマだと勘違いしていますから。
それにいろいろ事情がわかるのがワタシだけの部分があって、こまごまとしたことを押しつけられて困っている人を見ると放置するに忍びず、それをごりごり片づけていたら、まあビックリするほど時間が足りないです。
そして、ひとりでやれば特に混乱がない業務を複数人で寄ってたかってやるものですから混乱が発生して、手戻りが多い。
こんなことなら無理を承知で最初から全部ひとりで引き受けておけばよかったよ…! てなくらいやりづらくてイライラしました。
んで、何もかもがビハインドになって、普段なら雪道をラッセルするがごとくごりごりがりがり進めるところが、こういう状況ですからまったく進まず、時間的にも精神的にもしんどい12月だったのでした。
すると、困ったことに坐骨神経痛が再発しました。
神経や筋肉の弱さは残っていて歩きづらさはあるものの、鍼の直後とか片足爪先立ちができる瞬間もあったり、座っているときに脚に何の違和感もなかったりと、日々波はありつつもいい方向に向かっていると思えるようになっていました。
ところが、忙しくなって残業ばかりで睡眠時間が削られると身体が休めないらしく、座ると尻や脚に痛みが出るようになってしまったではないですか。
尻なんて、迂闊にしゃがんだりしなければ全然痛みが気にならないレベルまで回復していたのに、これでは一年前に逆戻りじゃないか。
立つも座るもできないような激痛がないだけマシとはいえ、ホントに手術したんかなーとなるってどういうことよ。
家で仕事をするときは立ってもできるので去年より全然マシですが、何時間も立ったままというのも脚腰の負担が大きくて、おばさんの筋力ではもちません。
やっぱり睡眠って大事だなー。寝ないと筋肉も神経も休まらないんだな。
と、しみじみしていると、さすがにワタシの残業時間に上司や同僚もやっべとなって「りんむさんの仕事、何か切り出せないの?」と訊かれました。
切り出すといってもなー。
過渡期が終わったら消えゆく仕事を今更人に渡しても仕方ないし、アレとコレは自分でやらないと新年度に困っちゃうし、そんなこと言うならソレを最初からワタシを巻き込まないでくれればよかったのに。
と、すぐ引き継げる状態にありません。
そうこうしているうちに同僚のひとりが体調不良で倒れ、「これならあわよくばあの人に」というワタシの野望が潰え、抱え込みが加速したのでした。
そんな状態で正月休みに突入したので、休み中も実は全然休んだ気になりませんでした。
仕事のアレとコレが気になる。作業しちゃおうかな。
でもあの人とこの人のところであれこれがスタックしているからいくらも進まないしな。
と、悶々として過ごし、毎晩のように仕事の夢にうなされていたという、いや〜な冬休みだったのです。
正月明けも悪い状態が続いて、入院後にはお蔵入りしていた杖を復活させるほどに神経痛が悪化していました。
寒さもよくないと思うんですよね。爆弾低気圧が来ると「ここが坐骨神経ですな!」とわかるくらいにはっきりと症状が出て、「いやいや、手術を決めたときはこんな痛みじゃなかったじゃないの」と己を宥めつつ「こんな調子でまた悪くなったらどうしよう」という不安も募り、そういう不安がまた神経痛を悪化させ…と、負のスパイラルにどっぷりです。
なんか、神経痛って面白いほどメンタルに直結しています。
手術の日が決まって入院するまでの数日間、引き継ぎは大変だったけど「もうすぐなんとかしてもらえる!」と心は軽やかで、それまで飲んで2時間もすりゃ激痛が戻ってしまった鎮痛剤も4時間くらい効いていました。
それが今は真逆で「このまままた悪化したらどうしよう」と不安が募ると痛みが酷くなって、しばらくご無沙汰していた鎮痛剤にも手が伸びる有様です。
そうこうしているうちに強度の不眠に陥り、抗鬱剤を増やしてもらっても過緊張が取れなくなってしまいました。
んで、左頬をぐいーっと引っ張られるような顔面の痙攣も起こるようになってしまい、それで「あー、これはダメだ」と白旗を上げることにしたのです。
昔、リーマンショックの頃、慣れない仕事と皆がピリピリしてパワハラが横行する環境に疲れて、鬱を発症したことがあります。
あのときも過緊張と不眠が酷くて、でも仕事を放り投げるという選択肢が不思議と思い浮かばず「始発でも終電でもこんなに人が乗って皆働いているんだから、ワタシもやり切らねば」と堪えていました。
それを3カ月ちょっと続けると、なんでもないことで涙がぼろぼろと溢れるし、食べたいモノがわからなくなって食が細くなるし、しまいにゃ自分がやった仕事の記憶がないという状態になって、それでようやく心療内科の門を叩いたのでした。
たかが3カ月で。
と思われるかもしれませんが、ほぼ寝ない状態が3カ月続くのは、ロングスリーパーの脳みそをぶっ壊すには充分です。
鬱というのは「心の風邪みたいなもので、誰でもなりうるから」みたいな風に言われることもありますが、体験した人間にしてみると脳の障害です。
困ったのが、日本語もさっぱりわからなくなったこと。
何がいかんて、読むのも聞くのも外国語並みに労力がかかるようになってしまうのです。
新聞とか仕事の資料とか尾鰭のない単純な日本語なのに、大事な部分がわからず何度も読み返す。けど理解できない。
人と話すときは「あのー」「えー」みたいな言葉のヒゲを無意識に無視することができず、全部聞かないとわからないから疲れる。そして聞いても理解できない。
理解力だけでなく身体能力もガタ落ちで、階段の上り下りが「次は右足を上のステップに乗せて、体重を移動させて、左足を浮かせて、右足の隣に並べて」といちいち考えないとできなくなりました。
たかが階段と思っていたけど、知らないところで脳が素早く微調整していたんだな…と感心したものです。
あとはなんか知らないけど、何もやっていなさそうですごく脳が疲弊しているらしく、3食食べてもどんどん痩せるという現象が起きました。
出社して、大した仕事をしないまま8時間過ごすだけで2キロ痩せるとか、そんなカンジだったのです。
んで、みるみる痩せるワタシを見て「骨皮筋子」と平気で言う人がいるような環境ですから、そりゃパワハラもあるでしょうよとお察しください。
こういう日常生活への支障はすごく厄介で、特に日本語が理解できないのは仕事復帰への障害になりました。
起きて食事して掃除する、みたいなことができても、職場に行ってみたら???となってへこたれて、また休職、なんてのを長期間繰り返すことになってしまったのです。
長い時間をかけて抗鬱剤と睡眠剤の量と種類を調節し、日本語が普通に扱えるようになったかな〜と実感できるようになるまで10年間くらいかかりました。
何をおいてもまず睡眠だ! 寝ないと脳がやられる!
ワタシは自分の睡眠時間を守るために、絶対残業なんかしないぞ!
と、ダメダメ会社員であり続けることを決め込み、のらりくらりと過ごしてきました。
が、今回またやらかしてしまい、落ち込んでいます。
今回は、いろんなことが重なり過ぎました。
仕事のボリュームが3倍になっても、今まで通り好き勝手やれたら多分問題なくこなせたと思う。
環境が変わって面倒くさい状況になっても、8時間働けばなんとかなる範囲ならそこまでストレスじゃなかったと思う。
手術直後でも、仕事が全然変わらなかったら何のダメージもなかったと思う。
ですが、何もかもが一気に押し寄せて、ワタシには何ともできなかった。
心療内科で診断書が出てバタバタと休職に入ってしまったので、引継ぎらしい引継ぎができていません。
多分いろんな人が酷い目に遭うんだろうな…と思うと、もうちょっと踏ん張った方がよかったのか…と悶々としていました。
が、休職手続きで会社のPCを起動させて画面を見た途端、動悸がバックバクと乱れて頬の痙攣が出たので「いや、こりゃダメでしょ」と思うことにしました。
なんか、どうもワタシは困ったときにも困っているように見えないらしく、仕事量や環境が変わってわたわたしているときも周りの目には「りんむさんは飄々とこなしてるわ」と映っていたようです。
いやいや、しんどいんだけどな…ということで打合せのときには「神経痛が再発するし、緊張が酷いし、寝不足だし、やばいです」とカミングアウトしてみたのですが「わかるー、俺もー」で終了。
限界超えそうっスわ! というのは、どうしたら周りに伝わるんでしょうねえ…。
以前の経験のおかげ? で、「これをあと数カ月続けたら、また日本語が不自由になってしまう」と早い段階で踏み切れたので、幸い今は本を読むことはできそうですし、味もわかって食欲もあります。
一日中ベッドで巨人に踏み潰されたような怠さを感じていたあの頃に比べると、割と人間らしい生活のまま逃げることを選択できて、知恵はつくものだね! と自分を褒めています。
その一方で、家計的には大打撃。
一度同じ病気で休職しているから健保からの補償はなく、入院で使ってしまったから有休も潤沢にはなく、無収入状態がしばらく続く見込みです。
なんか、これを機に今の職場を辞めてもいいのかな…なんて思っています。
「健康第一! ワタシは8時間以上働けませんよ! 業績評価? そんなもん最低でよろしい」と宣言していても守られるはずもなく、油断しているとキャパオーバーなボリュームと環境を押しつけられ、というのに、ちょっと辟易としました。
やっている仕事も特に愛着はなく、むしろ苦手で、苦手だからこそ自分で考えたり手を動かしたりしなくてもいいように自動化したりして、その結果「りんむさん、こういう仕事得意じゃーん」と言われるようになるのも何だかね…という気分です。
これを機に辞めて、失業保険を貰いながら職業訓練を受けつつリハビリを優先して、健康最優先にできるパートタイムジョブに切り替えるのもいいよね…なんてことを考えています。
問題は、今の状態だと老後の蓄えが非常に心許なく、このまま正社員の座を手放すとなると年金もますます心細くなり、「これを機にFIREしちゃおっか☆」とはとても言えない状態であること。
老後のことを考えると「どうやって生きていけばいいのかな…」と不安になって、これはこれで心臓がバクバクしてきます。
という話を快気祝いの席で友人に話すと「復職にしても退職にしても、時期が来たら自ずと決まるよ」と慰められました。
それもそうだな。
この弱った心身でくよくよしても仕方ない。
せっかくある程度元気なうちに時間ができたのだから、好きなことをちょっとでもやって、あとはリハビリに励もう。
と思いました。
そんな風に元気づけてくれる友人に出会えただけでも、今の会社に入ったのは大幸運なことです。
四半世紀前、ワタシが社会に出た頃は、既にPCもありましたが、まだ電話や郵便なども主流で、今思うとまだまだのんびりした環境でした。
それが今では夜中だろうが飛行機の中だろうが仕事の連絡がつくようになってしまい、スピードと密度が明らかに上がって、体力のない人間にはついていけなくなっています。あの頃より着実に老いているわけですし。
睡眠を侮ることなかれ。
皆様も何かとご苦労が多いことでしょうが、健康を損なうといろんなことがパーになります。
そして、拘っていたモノを手放しても案外生きてはいけるものなので、健康だけは死守してください。
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