鬱は治るものでも克服するものでもなく、共生するもの

鬱の診断書が出て、休職期間がそろそろ切れる頃になりました。

「ブリ男のゴハン代のためには働かなきゃな…」とは思いますし、顔の痙攣は治ったし、脚の痛みもだいぶマシになったし、ぼちぼち復帰せねば…とは思うのですが、復帰の道のりがまた厄介なことを思うと「あと1カ月くらいダラダラしちゃおうかな…」なんて気持ちもあって、迷っています。
復職って面倒なんですよね。

せっかくこうして再びメンタルがやられてしまったので、昔やらかしたときのことを思い出してみます。

あれはリーマンショックの年。

そのときワタシは全然想定していなかった業務の部署に異動になり、「えー、こういう仕事をするつもりでこの会社に入ったわけじゃないんだけどな。こういうことするのに『キャリアプランをしっかり立てて〜』とか無茶なこと言わんでほしいわ。ま、世話になった上司の顔を潰すのも何だし、ちょっとやったら転職したろ」みたいな状況でした。
んで異動してみたら案の定「なんじゃこりゃ?」ということが多く、仕事の内容もわからなければ部署の文化も謎だらけで、月々のルーティン作業にもかなりストレスを感じていたのです。

そこへ「米国がヤバいぞ」という話が聞こえてくるようになって、それが全世界に波及し、弊社も売上ガッタガタという惨状になりました。

当時はまだパワハラ上等な空気が残っていて、当月のデータを上げれば「なんで赤字なんだ!」と平気で怒鳴られる。
知らんがな。売上がないからだよ。
赤字を回避するべく全社的に「あれやれ、これやれ」と一文にもならない仕事が増加する一方で、それを「やってね」といろんな人に展開すると「ふざけんな、こんな仕事をやれというのか!」とこれまた怒鳴られる。
知らんがな。社長肝煎りのプロジェクトなんだから、文句は社長に言ってくれよ。
部長クラスのおじさんが、若い(当時はワタシも若かったのだ!)役も何もないぺーぺーの女子相手に、よくまあこれだけ詰められるものだな…と、感心? する毎日でした。

今までにない惨状だからそれだけみんなピリピリしていて、サンドバッグにしやすそうなふてぶてしい態度の女に八つ当たりしているんでしょうね。

というのは頭ではわかっているのですが、メンタルはゴリゴリに削られていきます。

最初のうちは罵詈雑言が並んだワタシだけ宛てのメールを「お気持ちはわかりますが、会社の指示なので」とか返信しながら役員や部長をccに入れて返信する、と多少なりとも反撃していましたが、そんな気力もだんだん削がれていきます。
何より直属の上司が主たるパワハラ担当者(?)なものですから逃げ場がありません。

そうこうしているうちにあまり眠れなくなりました。

やれやれ今日は日付が変わる前に布団に入れる。
と消灯して目を閉じても、頭がギンギンに冴えて眠れない。
本を読んだり音楽をかけたりして気を紛らわしてもダメで、明け方ちょっとうとうとするだけで、朝5時くらいになって「ああ、もう眠れないと悩まなくていい時間になった」と夜の終焉を喜んだのでした。

というのがしばらく続くと、今度は食欲もなくなりました。

今日こそは早く帰ろうと昼休みに何も食べず仕事して、でもやっぱり残業が確定し、何か食べようとコンビニに行っても食べたいものが何もないのです。
陳列棚の前に立って「サンドイッチ…という気分でもない、おにぎりもそういうカンジじゃない、甘いモノも別に要らない」と途方に暮れて、健康補助食品と野菜ジュースでお茶を濁すという毎日。

睡眠不足に栄養不足ですから、身体にいいわけありません。
脳みそがスッカスカのスポンジになったような嫌なぼんやり感があるし、そのくせ「どうしようどうしよう」と何かに常に追い詰められているような緊張感があるし、どうにもならない。

過緊張が続くと不思議と何でもないことで涙が出てきます。
「これお願いね」と、別に難しくもなんともない、この紙をあのファイルに綴じておいてねくらいの作業を頼まれてもブワッと涙が出てきて、職場では毎日泣くのを必死に堪えていました。

それでも「仕事を辞める」という選択肢はなぜか頭に浮かばず、「このまま消えたらラクだろうなー」くらいのことしか思いつきません。
こりゃフラッと飛び込むかもしれないな。と思って、駅のホームで電車を待つときは列の先頭には立たないようになりました。

という生活を3カ月ほど続けたあるとき、妙な出来事がありました。

よそから貰ったデータをワタシがちょちょいと追記・加工して、自分の部署の人に渡すという、あまり生産性のない作業がありました。
当時はクラウド共有なんてなかったから、メールでExcelファイルを貰って、それを加工した後にメールで送るというカンジです。

んで、あれこれ入力されてワタシのところに戻ってきたファイルを見ると、どう考えてもおかしい数式が入っていました。

「えー、ここの箇所なんかおかしいんだけど」と担当者に訊くと「俺はそこは触ってないよ。りんむさんから送られてきたファイルのままだよ」と言われました。
うっそだー、だって今回の作業では絶対触らなくていいセルなのに、なんでワタシが弄ることがあるのよ。

と、元のファイルとワタシが送信したファイルを比べると、確かにワタシが何やら弄ってしまったようでした。

えっ、まったく記憶にない。
自分が作業した覚えもないし、弄ろうと思ったことすら忘れた。

これはまずい。今回はまだ担当者間で変だねーで済む話だったけど、そのうちとんでもない資料でとんでもないことをやらかしそうです。
さすがにもう仕事ができる状態じゃないんだ…とショックを受けて、それでようやく近所の心療内科の門を叩く決意をしたのでした。


心療内科の初診では、いろんなことを訊かれます。
直近の仕事の状況ももちろん、生い立ちやどういう人生を送ってきたのかなど、医師に訊かれるままポツポツと話しながら、窓の外の街路樹が冬ですっかり葉を落としているのにようやく気づき、季節の移ろいも認知できていなかったことを思い知ってぼろぼろと泣いてしまいました。

その後、 ロールシャッハテストやバウムテストなどを受け、鬱病で適応障害の気もあると診断されました。
そしてとりあえず3カ月間の休職の診断が出たのです。

診断を受けたとき、自分がメンタルをやられた現実は一応ショックだったけど、とりあえず現実逃避するお墨付きを貰えたことに安堵しました。
んで抗鬱剤や精神安定剤や睡眠薬をどっさり貰って帰り、職場の上司に「こういう次第で休みます」とメールを書きました。

このメールを書くにもまた苦労しまして。
もうこのときには睡眠不足のせいで言語能力も格段に下がっていて、現状の説明や医師の指示などつるつるっと書けば済むはずなのに、2時間くらいかかった気もします。
書いた後は薬を飲んで、久しぶりに時間を気にせずに眠ることにしました。

これで3カ月もすれば元に戻れると思っていたのです。このときは。
まさかここが地獄の始まりとは、想像もしていませんでした。

薬の効果は覿面で、あれほど眠れなかったのに、すごく眠れました。
…眠り過ぎなほど眠れました。
22時頃に消灯したはずが、なぜか翌日の昼になっていました。

抗鬱剤を飲んで過緊張が緩み、むやみに追い詰められて泣きそうな気分の時間は徐々に減っていきました。
が、これまでの疲れや脳の機能の低下が前面に出てきて、怠くて仕方ないです。
更に薬の副作用も加わって目眩が酷く、真っ直ぐ歩くこともできない。

何もやる気がしない、というかこの頃にはテレビを見ても本を読んでも理解できなくなっていたので、一日中ベッドで布団に包まっていました。
寝て、たまにトイレに起きて、また寝て。
外に出ていないし、出る用事もないし、面倒くさいから風呂もいいや。お腹も空かないからゴハンも要らない。
と、ただただ寝るだけ。

なんか、気力だけで踏ん張って一応仕事っぽいことをしていましたが、すごく無理をしていたことを休んでから思い知りました。
とにかく日本語がわからない。
新聞みたいに装飾性のない無味乾燥な文章も、つるつると文字が目を滑って頭に全然入ってこない。
人が話すのを聞くにも、ノンバーバルな情報まで処理しきれないから目を閉じるんだけど、「えー」とか「あのー」みたいな言葉のヒゲ的な単語もいちいち拾っちゃってパンクする。
と、日本語なのに外国語並みの労力が必要でした。
そりゃ簡単なメールを返信するのに何時間もかかったわけです。そんで残業が増えて余計に追い詰められるという悪循環でした。

脳の機能が落ちたのは言語能力だけでなく、身体能力にも影響が出ました。
ワタシは階段の登り降りができなくなって、いちいち「右足を上のステップに乗せて、体重を移動させて、左足を浮かせて…」と考えないといけなくなった。

曲がりなりにもWindows XPくらいの仕事っぷりをしていたつもりの脳みそだったのが、Windows3.0くらいまで後退してしまった気分です。
自分のことを頭がいいとは思っていなかったけど、これほどまでバカになるとは…と、かなりショックでした。

そんなポンコツ脳なのに、悪夢だけはきっちり見せてくれます。

化け物に苛まれたり、拷問にかけられたり、夢の中で異様に怒ったり哀しんだりばかりで、ビックリして夜中に目を覚ます。
冬だというのに全身汗びっしょりになっていて、一体自分の頭の中で何が起こっているのか、さっぱり理解できませんでした。


と、ほぼ寝るだけで最初の1カ月が過ぎ、げっそりしたワタシを見かねて家族や友人が外食などに誘ってくれるようになりました。

食欲なんてすっかりなくなって、ケーキ店の前を通るとバターの香りで気持ち悪くなっていたのですが、この頃にようやく「あ、今ワタシ美味しいって感じている…!」という瞬間もあって、生きている喜びを実感しました。
数カ月間、砂を噛むような生活の後ですから、喜びもひとしおです。

とはいえ一人前の量を平らげるのは全然無理で、前菜でもう満腹となる状態でした。
日々の食事も「死なないように1,200キロカロリー程度は摂らねば」くらいで、当時何を食べて生きていたかも覚えていません。


休職2カ月目に入り、ようやく「体力を戻さねば」という気持ちが芽生えました。

相変わらずめちゃくちゃな睡眠時間だけど、起きて「今日は布団から出られる」と思った日は外に出て散歩です。
真冬の晴れた日、「セロトニン、セロトニン…」と唱えながら近所をうろうろしていました。

そうやって外に出てみると、世の中の働いている人達が眩しく見えてきます。
ランチどき、同僚と連れ立って飲食店に向かう人々を見て「ワタシ、何やっているんだろう…」と、焦りとも哀しみともつかない感情が湧いてきました。

みんな働いているのに。
なんでワタシはそれもできないのかな。

という気分の落ち込みがいけないのか、ただただ脳と身体がついていけないのか、この頃は動けない日もまだまだ多かったです。

散歩ついでにスーパーで買い物しようと思っていたけど、できなかった。
友人とランチで楽しかったけど、翌日寝込んで一日中動けなかった。
心療内科の診察の後、それだけで疲れ切って家で寝ていた。

昨日できたから今日もできるというものでもなく、日によってバラバラというか、なんなら日内変動も激しいです。
なので友人と会うのも「ダメだ、ごめん、動けなくなったからちょっとワタシ黙ってじっとしているよ」というのを気軽に言える相手限定でした。
家族と旅行に出ても、一日目は動けたけど二日目はホテルで寝ているなんてこともありました。

動けなくなるというのは、マジで動けなくなるのです。

まるで泥の中に沈んでいるような、巨人の足にぎゅうぎゅうと潰されているような感覚。
自分の意思で動かせるのは眼球だけで、指先をぴくりともできない。

とにかくこの波がつらくて、ご機嫌で散歩できるときもあるのに重力の違う星にでも来たのかってくらい動けないときもあって、それが予兆もなければ予測もできないってことで全然人並みの生活を送れる気がしませんでした。


ということで3カ月の休職期間はあっという間に終わり、更に1カ月、もう更に1カ月と、ずるずる延びていったのです。

春の木の芽時は頭のおかしい人が湧く。
とか言われますが、頭のおかしい人間に春はツラい季節です。
周りの生命力が強過ぎて、身体の中がザワザワして落ち着かないし、それでひどく疲れる。

気候が安定してようやく「18時間ぶっ通して寝続けた」みたいなことがなくなり、それでやっと復職を目指して動くことになりました。

医師が「復帰していいよ」と言ったら即職場に行くのかと思いきやそうではなく、まともな生活が送れるのか1カ月間図書館に通いながら生活記録をつけなさい、という指示が会社から出ました。

これがめちゃくちゃな生活を送っていた人間には結構キツく、決まった時間に起きられないし、図書館に行けない日もあれば、行っても8時間座っているなんて到底無理で1時間2時間で帰宅する日もありました。
という状態なのでまだ復帰はダメ〜ということで、図書館通いをもう1カ月継続。

日本語能力はどうだったかというと、小難しい本はまだ無理で、エッセイとか軽めの小説を読んでいたような気がします。
でも何を読んだか、読んで心が動かされたかを覚えていないので、頭には入っていなかったようです。

その点、漫画はラクで、友人に借りてちょこちょこ初見のモノも読んでいました。絵があるっていいですね。想像力がなくても理解できるもん。
しかし映画となるとかえって情報量が多過ぎて、体力根気が枯れ果てていたので初見のモノはまったく見られなかった気がします。


と、結局半年余り休職してから、ようやく職場に戻りました。

休んでいる間にげっそり痩せてしまったので、特に説明しなくても同僚にヤバさが伝わったのはありがたいですが、パワハラ上司に「骨皮筋子」と笑われて、くっそコイツ殺したろかと思いました。

職場に戻ってから、しばらくは残業禁止です。業務も軽め。
それまで忙しくていい加減な管理しかしていなかったデータを粛々と整理する、くらいでした。

この頃もう元気だったかというと波はやっぱりあって、「割と気力があっていろいろできる」というときもあれば「もうダメ動けない」というときもあります。
昼休み、弁当を食べた後(まだ一人前食べられなかったので、食べられる量の弁当持参だった)に少し休憩のつもりで寝ると、そのまま爆睡して同僚に叩き起こしてもらうなんてこともありました。

頭も身体も動かない状態で職場に居るのは、家で療養しているのとはワケが違いました。

周りがとにかく凄いスピードでいろいろ処理をしている(ように見える)のに、ワタシは人が話していることを理解するのも追いつかないし、資料を何度も読み返さないと要点が何かわからない。

この「人並みにできない」というのは、かなりこたえました。

優秀ではなかったけど、人並みにはできていたはず。
そう自負していたのに、全然ダメな人間になってしまって、鬱病と診断された瞬間よりもツラかったです。

しかしハタから見ると、別に四肢が欠損しているわけでもなく、元気そう。
そんなわけで「なんでいつまでもりんむさんがやっていた仕事をほかの人間がやらなきゃいけないんだ。いい加減戻してくれ」とクレームが出るようになりました。

いやでも、今のワタシの能力では無理だよ…。

と、「こうであってほしい自分」と現状の自分、周囲の目と現状の自分とのギャップが開く一方で、それで焦ったり落ち込んでいるうちに、朝起きられなくて突発で休む日が増えてしまいました。

そうなると再休職です。
こうして、数カ月働いてはちょっと休んでというのを繰り返すのが2年余り続きました。

ワタシ、何やっているんだろう。

こんな生活をしていて何の意味があるのか。
人並みに暮らせないのに、生きている価値があるのか。いや、ないでしょう。

そうか、生きている価値がないなら、死ねばいいのか!

これを思いついた瞬間の甘美なことといったら、忘れられません。
おそらくそれまでの生涯で最も綺羅とした瞬間でしたし、この先もここまで陶然とする瞬間はないでしょう。
ずっとモノクロだった世界がパアッと開けて、世界に光が満ち満ちた、そんな感覚でした。

鬱病と診断される前、「このまま目が覚めなければいいのになー」と思ったことはあったし、「油断したら電車に飛び込んじゃうかもな」と感じたこともあったけど、はっきりと「死のう」と考えたことはありませんでした。

おそらくですが、最悪なコンディションのときは死ぬ気力もなかったのだと思います。
ところが、休み休みながらではありますが生活しているうちに、たまたまある程度気力があるタイミングで希死念慮が浮かんだのでしょう。

それまでしばらくなかったウキウキ状態で「どうやって死ぬか」という計画を立てました。
感覚としては、すっごく楽しい旅行計画を立案しているようなものです。

部屋で死ぬと、マンションを相続するであろう家族に迷惑がかかるからダメだよね。
んじゃ樹海でも行って首を括る?
あまり発見されないのも困っちゃうし、未遂で見つかるのも嫌だし、塩梅が難しいものだわね。
部屋のモノやお金の処理はどうしよう。あー、でもどうせワタシ死ぬから、もうどうでもいっか!

と、久しぶりに充実した時間を過ごしました。

さて、今日は金曜日だし、明日の休みにホームセンターに縄でも買いに行くかね。
それでそのまま決行だ!

その日が、2011年の3月11日でした。

仕事中、大きな揺れがあって、ネットのニュースやケータイのワンセグで「東北で大きな地震が」「津波が」と周りがざわざわとしました。

夕方帰宅し、テレビをつけると大惨事になっています。

時間が経つにつれ被害状況は悪くなる一方で、次々に積み上がっていく死者数を見ながら、ワタシは茫然としました。

明日どんなに生きたかったかもしれない人が死んで。
明日、どうしても死にたいと願ったワタシが、生きている。

神様はワタシに死ぬ価値もないと言うのか。
こんな災害を起こしてまで、思い知らせることではないじゃないか。

日本全国から東日本へ救援の目が向く中、計画通り死ぬ気にはなれませんでした。
ワタシの始末をするくらいなら、東北の支援に人を回した方がよっぽど建設的です。

どうして3月11日は呑気に仕事をしていたんだろう。
会社を休んで東北の海岸にぼーっと立っているだけで済んだのに。
死にたくなかった人と死なせたくなかった人のことを思うと、居た堪れませんでした。


結局死ぬタイミングを失って、次の月曜日も普通に仕事をしていました。

火が消えたように活気を失った駅前。
照明が暗く、客も少ないデパート。
音楽が流れないテレビ。悪いことばかり流れてくるTwitter。

半分死んだような日本は、まるでまともに生きていけないワタシを見ているようでした。

それでしばらくして、「生き残ってしまったから、生きていくしかない」と思い直したのです。

仕事ができない無能な人間で上等じゃないか。
食べていく分くらいは稼いで、ちょっと税金を納めていれば社会人としては充分じゃないの。
もうワタシは一旦死んだつもりで、余生を送っていると思えばいい。

ワタシは何もできない。

ワタシには何も期待しない。

ワタシは何もかも諦める。

でも生きているから仕方なく生きる。それでいいじゃないの。
と、諦めの境地に至りました。


今思い返すとこれが転換点でした。
鬱病は克服できるものではないし、発病前の自分に戻ることもできない。
体力気力を含めた能力がガタ落ちで、でもそれはそういうものと諦めて、認めるしかなかったのです。

幸いにも何年もかけた抗鬱剤と睡眠薬の調整も上手くいったタイミングが重なって、昼間の酷い眠気や抑鬱感が軽くなり、だいぶ日常生活への支障がなくなりました。

まとまった期間の休職も再発しなくなり、朝起きられず突発で休みを取ることも減り、2012年には数年ぶりに計画有休を取って「ちょっとは人間らしくなったじゃん?」なんて悦に入っていました。

病んでた期間に汚部屋状態になっていたのを業者も入れて解決し、さて10年後にはリフォームするぞ、なんて将来の夢らしきものも描けるようになって。

そうこうしているうちにマンションを買い替えたり猫を飼い始めたりと、のほほんと暮らせるようになっていました。

とはいえ「ワタシ、働けませんから」と宣言していても年度末には毎度ぎゅうぎゅうになります。
12月頃から3月頃まで脳みそがスポンジになるレベルで睡眠不足になり、過緊張も出るので抗鬱剤を増やしてもらってなんとか凌ぎ、春から夏にかけてはその反動で死んだように暮らし、ようやく気力が戻ったら秋で、次の年度末がやってくる。
というリズムはいかにも命が削っている感があって、嫌でした。

余生のつもりで暮らしているのにこんな働き方、嫌だわ。
近所でパートタイムジョブとかで、持続可能なカンジで働きたいわ。

と思っていたらコロナをきっかけに在宅勤務アリな世の中になって、それで年度末の睡眠不足が多少緩和され、結局数年間転職せずにそのまま暮らしていました。

このままあと数年間はいけるかな。
なんて思っていたところに、今回あれこれ立て込んでキャパシティをオーバーし、ひっさしぶりの再休職となったわけです。


ワタシ、8時間以上仕事できませんし、その仕事も大した質じゃないですから。

と、自分に期待しない諦観スタイルで十年余り乗り切ってきたのですが、それだけ時間が経つとワタシの骨皮筋子の時代を覚えている人は周囲にはほとんどいなくなり、ワタシも人を助けるくらいの余裕もあったりしたので、「これはキャパ超えですわ…」と言うタイミングを失ったり、言っても信じてもらえなかったりして、なんだか上手くいかなかったです。

ひとつ良かったことは、過去の経験から「この状態を何カ月も続けたら、また日本語がわからなくなる!」という加減がわかったということですかね。

休みに入った当初は「あー、もうめんどくせ、このまま退職して、せっかくだから失業保険貰えるまでぶらぶらしようかな」とか考えていましたが、「すぐに転職も面倒だから、しれっと復帰して早期退職勧告を受けるお年頃までは粘ろうかなあ」なんてことも今は思っています。
いずれにせよもう傷病手当もない無収入な状態で、これはこれで精神的によくないので、焦らない範囲で、でも速やかになんとかしたいところ。

しかし、ひとりと猫が食べるだけのささやかな収入でいいから8時間だけの労働にさせてくれってだけで、なんでこんなに難しいんでしょうね!?
高給を寄越せと言っているわけじゃないんですよ。反社会的な業務じゃなければ、言われたことはやる所存ですよ、8時間以内なら。
正社員だと途端に月数十時間の残業は当然になって、かといって パートタイムジョブだと食べていくのも大変な収入になっちゃって、なんで中庸っつーものがないんですかね!

コメント

“鬱は治るものでも克服するものでもなく、共生するもの” への2件のフィードバック

  1. ゆーこりんのアバター
    ゆーこりん

    だいぶ前から読ませていただいたのですが、初めてコメントさせていただきます。
    すごく陳腐な言い方ですが、生きていてくれてありがとうございます。
    私は色々な方の猫ブログを見るのが好きなのですが、ブリ男くんは1、2を争う可愛さです。このブログが無ければブリ男くんとも出会えませんでした。
    あと私も鬱を患ったことがあるので、発病や再発の様子もわかるわかる!という感じで、とてもリアルに読ませていただきました。
    マンションの買い替えや素敵なお買い物やグルメの記事も楽しくて、ブログの更新がされているとヤッターと嬉しくなってしまいます。
    これからもブログを楽しみにしています。

    1. りんむじんづのアバター
      りんむじんづ

      ゆーこりんサマ
      コメントありがとうございます。
      生きているだけでお礼を言われたのは初めてのことなので、嬉しくて泣きそうです…!
      そして症状に共感してもらえて、よかった。
      多分メンタルに難を抱えている人は同じように動けなさや復帰の困難さを感じていると思うのですが、あまりリアルに共有できる機会がないのでひとりで抱えちゃいますよね。
      あまり暗い話題を書くのはやめていたのですが、今回せっかく(?)再発したので記録しておくことにしました。
      少しずつ楽しい話題も増やしていきますので、ブリ男共々よろしくお願いします!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です