今のマンションに住んで丸5年。
一方、前の部屋に住んでいた期間は10年。
その半分の時間を既に今の部屋で過ごしているということで、昔のことを思い返して妙に感傷的になっています。
前のマンションで過ごした前半5年間というのはワタシの人生最悪期で、心身を壊して仕事するどころか日常生活もまともに送れないときもしばしばでした。
食事を摂る気力もない。お風呂に入るのも面倒くさい。トイレに行くのがやっとで、あとはひたすらベッドの中で「何か」にじっと耐えている。
たまに身体が軽い日があって活動してみると、その反動で疲れてまたベッドの中に逆戻り。
という暮らしでした。
そんな生活ですから当然部屋の掃除まで行き届くはずもなく、かろうじて水回りは何とかしていたものの、あとは酷いものでした。
んで、寝込みながら「あー、床が汚いなあ」なんてことをぼんやり考えた記憶があります。
それが何かの拍子か、それとも特にきっかけはなかったのか、徐々に「掃除しよう」という気になって。
ところが寝込んでいる期間が長かったせいで体力が落ちているから洗面所の床を拭くだけで倒れそうになり。
こうなったらカネで解決してやる、清掃業者を呼んでやるぜ、と思いついたはいいけれど、部屋にモノが溢れているから非常に掃除がしづらいと気づき。
まずは断捨離だ! と本を中心にモノを処分しまくって。
長い時間をかけて部屋を片づけて掃除していたら、ようやく人間らしい生活が送れるようになっていました。
参考:シンプルな部屋が好きな理由
ずっと泥の中に沈んでいたような生活だったのがある程度ラクに呼吸できるようになり、そうなったときのワタシの部屋や暮らしを見て、自分のキャパシティが非常に小さいということに気づいてガッカリしなかったというと嘘になります。
必要最小限のモノしか管理できない、何の面白みも創造性もない仕事しかできない、それがワタシの能力的には精一杯だと認めるのはツラい作業でした。
まあでも、ワタシに過剰な期待をかけていたのはワタシ自身なのですから、ワタシが諦めれば済む話です。
人様に迷惑をかけない程度に食べていく分だけ稼いで、ちょっぴり税金を納める代わりに社会の片隅でひっそり生きて、つまらなくてもいいから安穏と生活できればそれで充分じゃないか。
部屋の中の掃除と同じくらい長い時間かけて自分の気持ちにも整理をつけ、残りは余生として生きるつもりで何も望まず何も求めず、ただ生きていく。そうするつもりでした。
それが何をとち狂ったのか、マンションを買い替えて。
しかも猫まで迎え入れ。
ひっそり生きるつもりじゃなかったんかーい。
新たな借金どころか自分以外の生命を人生に関与させるとは、我ながら「何を考えているんだ」と呆然とする変化でした。
前のマンションに住んでいた後半5年間は、ツラくもありましたが、ラクに生きる方法を見つけてかなり落ち着いていました。
生活から、とにかく「やらねばならない」ということを削ぎ落とせばいい。
掃除が大変なら、埃を払わねばならないモノを捨てればいい。アイロンが面倒なら、皺になる服を捨てればいい。
生きていくうえでどうしようもなく必要なモノだけを部屋に残し、究極的には旅に出るときのようにスーツケースに入るモノだけで暮らせば「ねばならない」なんてことは激減する。
と、ミニマリストに憧れていました。
心機一転、新しい部屋に引っ越した当初は、まだ「シンプルに生活したい」という気持ちが強かったはずですが。
ブリ男が来て。
ケージだの爪とぎだのオモチャだのに部屋を占拠されて、人に「猫屋敷」と呼ばれるようになり。
なくても死なないようなモノも増えて。
それでも何とか暮らしていることに、不思議な感覚を覚えています。
今も「なるべくならモノを減らして生活したい」という気持ちはあります。
毎日部屋をピッカピカにできているかというとそうでもないし、もっとシンプルな部屋なら掃除がラクだろうなーくらいのことは思います。
が、なくても死なないけれどあると幸せな気分になるモノが部屋にあってもいいじゃない、くらいのキャパシティが自分にあるというのが今は嬉しい。
猫なんてね。
飼わなくても生きていけるけど、一緒に生活していると幸せで仕方ない。
仕事で壁にぶつかると、またぞろ出来ない自分への焦りなんかが浮かび上がってきますが、「なんかもう色々と諦めた人生じゃないの。余生余生。ただ生きているだけでオッケーオッケー」と思い直し、安穏と生活できればいいじゃんと思った頃に立ち戻るようにしています。
欲があるから焦るのであって。
何も期待しなければガッカリすることもない。
今のワタシの命題はブリ男にのほほんと過ごさせることで、それ以上でもそれ以下でもありません。
なんてことを取り止めもなく、ぼんやりと考えている春でした。
じっくり読ませていただきました。
りんむさんが「泥の中」から浮かび上がって今の穏やかな生活に至るまでの道のりは、想像できないくらい山あり谷ありだったことと思います。
さまざまな経験を乗り越えて、地に足のついた生活をしていらっしゃるりんむさんはとても素敵です!
私もミニマリストに憧れて、引っ越してからは闇雲にモノを捨てまくっていたのですが、あれ、私は何をめざしていたんだっけ?と軌道修正しているところです。
モノを減らすことだけが目的なのではなくて、りんむさんのように選び抜いた幸せな気分になるモノに囲まれた生活が理想です。
平凡な当たり前の日々がどんなにありがたいことなのかを思い知らされる今日この頃。
好きなモノに囲まれて、愛する猫がいてくれるこのささやかな幸せができる限り続くことを祈るばかりです。
sakikoサマ
お優しいコメントありがとうございます。
山あり谷ありというか、谷底を這いつくばってきたというカンジだったのが、平地をぼちぼち歩いているような感覚になって幸せだなあと感じているところです。
ところが第三者から「いや、山を登れよ!」と言われる機会が増えて疲れて、いやいや現状で充分と思うようになるまで紆余曲折あったじゃない、現状維持がそこまで悪いこと? と思うようになり、改めて今の生活は幸せだと再認識し、自分のキャパシティをきちんと見つめないとまた谷底に転げ落ちることになるぞ…と危機感を覚えているところです。
ワタシは何を目指していたかというと「ラクに生活する」なので、そこはブレずにいたいものです。
自分を守ってくれるのは自分だけですからね…。
お互い大切な猫と一緒に穏やかに末永く暮らせますように!
おはようございます。
どん底から抜け出して、猫と出会い穏やかな?日々。安らぎと癒しの時間が健康の元ですね。
私は仕事のストレス…と言っても今はパート職程度ですが、職場から出ると一切、何もかも忘れると言う特技があり…。
それより家庭内の嫁姑関係でのストレスの方が大きくて笑笑、イライラする事は全て忘れると言う特技が身に付いたのかも。
ミニマリスト…無理なのでミニマル程度を目標にしてます。
調子に乗って捨てまくり、あっ…アレ…どこ行った?あ…捨てたんや…。と後悔たくさん。シンプルなと何も無いのは違う。
でも…シンプルな領域にすら入ってない物量ですが。
まだむサマ
ご家族と暮らしているとミニマリストは無理ですよね~。
ワタシの場合は「あー、あれ捨てちゃった」と後悔したモノがほとんどなくて、一瞬「しまった」と思っても買い直せるモノばかりだったので、よほど要らんモノを溜め込んでいたのかと思われます。
逆に「イタリアでもっとバッグ買ってこればよかったなー」という買わなかった後悔も多いので、欲しいモノはとりあえず我慢しないようにしています笑
今はまだ年度末の疲れを引きずっていて感傷的になっていますが、GWで一息つけば回復して健康になるかと…。
仕事のストレスと長時間労働はいかんですね。
とても同感出来る記事でした。
テレワークになってモノが増える増える。以前は耐えられなかった視覚的ノイズに耐性ができ、ミニマリストを標榜していた自分は何だったのかと思います。元のスッキリに戻りたい気持ちもあるのですが、つまらないなとも同時に感じています。
Marikoplusサマ
テレワーク、モノが増えますよね〜…。
仕事の道具もそうだし、家にいる時間が長くなると「外で完結すればいいや」と割り切っていたことを自宅でやることになって、こまごまとモノが増えていっています。
減ったのは外出着とパンプスかなあ。部屋着とスニーカーが増えているので総量は変化ないですが…。
それでも通勤時間ゼロのテレワークの快適さは手放し難いですね!
ブログでも以前にりんむさんの過去について触れられていた事がありましたが、その大変な時期を乗り越えたからこその今の生活があるのだな、と思いました。シンプルに生きながらも好きな物には妥協しないりんむさんのスタイル、私はとても好きです。自分のキャパシティをきちんと理解しその中で工夫をしながら、楽しみながら生活する事は結構難しかったりしますよね。自分の事が分かっていないとなかなか出来ない。それに気付けているりんむさんはしっかりと自分を見つめ直した人なのだろうと思いました。
私も主に仕事面ですが、色々見つめ直し中です。時々辛くなる事もあるけど、お互いほどほどに頑張っていきたいですね。
うなたサマ
自分の想像以上に己のキャパシティが小さくて、それを認める作業が辛かったですね。
今は開き直って「猫を食べさせていくのが精一杯でーす」と割り切っていますが、人それぞれの精一杯を認め合えるほど寛容な社会でもなく、なかなか難しいものです。
せっかくの人生、多少頑張ることも必要ですが辛いばかりになってはつまらないので、ほどほどにやっていきましょうね。