あれはまだ20世紀のこと。
ワタシが田舎の高校生だったときの話だ。
当時はインターネットなんてものはなくて(正確には存在していたが、一般的に普及する契機となったWindows95は我が家にはなかったし──父の仕事道具としてWindows3.1はあったけど──、コンテンツも不充分だった)、田舎の高校生の情報源といえばテレビと雑誌が中心だった。
で、毎月ハイティーン向けのファッション情報誌を乏しいお小遣いの中から買っていたのである。
ワタシが通っていた高校はバイト禁止で、家庭も「そんなものは大学生になってからやればよろしい」というスタンスだったので、ワタシはあまり現金を持っていなかった。
月々支給される数千円の小遣いと、お年玉の一部。それだけ。
と言っても、洋服なり本なり欲しいモノは親に言えば買ってもらえたから不自由はなかった。
しょーもない漫画でも文句言わず買ってくれたし、何なら本屋まで車を出してもらえた(田舎の大型書店は駐車場が広いのです)。
手持ちの現金は何に使っていたかというと、部活帰りに友人とコンビニに寄って肉まんを買うとか、学校帰りに友人とカラオケボックスに行くとか、友人への誕生日プレゼントとか、そういうちょっとした交際費に充てていた。
中学生まではそれすらも親に言って貰っていたけど(そもそも小遣いがなかった)、親同士も顔を知っている地元の幼馴染ならともかく、親が知らない友人との遊興費をいちいち申告して貰うのは面倒くさかった。親も面倒くさいからこそ小遣いを渡していたのだろう。
それ以外にも、ひとりで本や文房具を買うときにも小遣いを使っていた。
高校生にもなれば親と一緒にいたくないときだってあるわけですよ。
とはいえ、車を運転できない田舎の高校生の行動範囲なんて知れている。
ひとりで本を買うときは、高校の帰り道、自宅の最寄りのバス停を降りた目の前の小さなビルの1階に入った、小さな本屋に寄った。
そこは小太りのおじさんがやっている本屋だった。
狭いから品揃えは充分とは言えなくて参考書や問題集を買うときには街に出て大型書店へ行ったが、週刊誌や月刊誌、ベストセラー小説の文庫本などを買うには特に問題はなかった。
で、ワタシがよく買っていたハイティーン向けのファッション情報誌も発売日には店頭に並んでいた。雑誌の発売が遅れるほどの田舎ではないのです。
学校帰りだから、ワタシは当然制服を着ている。昔ながらのセーラー服。
学校指定の鞄まで持っているから、地元の人間ならどこの高校生か一目瞭然だ。
参考書を買わずにファッションだのメイクだの恋愛だの浮ついた雑誌を買うのは、ほんのちょっとだけ背徳感があった。一応、校則では登下校時は寄り道禁止になっているしね。
今にして思えばその年頃の子が買わずしてどうするって雑誌だったから何の不思議もないし、カラオケボックスで歌い倒した後にサイゼリヤでお喋りとかやってるのに地元の本屋に立ち寄るくらいどうってことないのに。
ま、制服で不道徳な本を立ち読みしたり買ったりするのは、やっぱりちょと恥ずかしかったわけだ。
それでも田舎の高校生にとっては本屋に行くのは数少ない娯楽だった。
そんなわけで、そのおじさんの小さな本屋に毎月数百円から数千円の小遣いを落とすという生活が3年間続いた。
ところで、ワタシは高校入学のときに親にそれなりにきちんとした財布を買ってもらったけど、しばらくして使わなくなった。
手持ちの現金が数千円しかないのに、しっかりお札の入る財布は大き過ぎたのだ。
だから雑貨屋で小さなコインケースを買って、そこに小銭と折り畳んだ千円札を1枚入れて登校していた。学校の売店で餡ドーナツと牛乳を買う程度ならこれで充分だった。それなりにきちんとした財布が日常的に活躍するようになったのは、大学に入学した後の話。
で、その日も学校からの帰り道、バス停を降りて本屋に向かった。
今日は雑誌の発売日。という日はウキウキ度が跳ね上がる。
試験もまだ先だし、宿題と予習をやっつけたらじっくり雑誌を読むんだ。と、軽やかに本屋に入って雑誌コーナーに直行した。
お目当ての雑誌を手にしてレジに向かい、いつものおじさんに差し出した。
そして鞄から小銭入れを取り出し、数百円を取り出そうとした。
……が、お金が足りない。
400円もしない雑誌なのに代金が支払えない。百円玉が2枚と十円玉と一円玉が数枚ずつしかない。
あれっ、いつの間に使ったんだっけ。
ワタシはレジ前で焦った。頭に昇った血で顔面が沸騰するかと思った。
教科書を忘れたときだってこんなに焦らない。
モノを買うのにお金がないとか、なんて反社会的なことを! と、狼狽した。
仕方なく、恥ずかしさを堪えて「すみません、お金が足らなかったのでまた来ます…」とおじさんに申告した。
するとおじさんは「ああ、じゃあお金はまた今度でいいよ」と雑誌をそのまま紙袋に梱包し始めた。
えっ、ツケ?
いくら昔の田舎の子とはいえ、ツケで買い物ができるほど牧歌的な商店とは無縁で育っている。ワタシは慌てて「いえそんな、明日また来ますから」と断った。
しかしおじさんは「いつも来てくれているし、いいよ。これ、毎回発売日に買っていたでしょ?」とワタシに紙袋を差し出した。
恥ずかしい、そんなことまで覚えられていたんだ!
そうまで言われるとありがたく受け取らざるを得ず、紙袋を小脇に抱えながら慌てて帰宅して貯金箱からお金を取り出し、もう一度バス停前の本屋へ走ることになった。
というわけで、これが人生で初めてのツケ払いの経験。
あれから数十年、その後もクレジットカード決済はしてもツケで買い物をしたことはないから、あれが最初で最後の経験になるんだと思う。
ああいう変則的なお金の動きを大人抜きで自分ひとりでやるのはなかなか衝撃的だった。
ま、高校の制服を着て頻繁に来店していれば怪しいこともないし、何ならおじさんは隣の雑貨屋のおばさんから「あの子はりんむさんちの下の子よ」くらいのことは聞いていたかもしれない。
田舎の個人商店というのは融通が利いていいものだな、と初めて思った。
とはいえ、おじさんのゆるゆる経営が災いしてか、ワタシが社会人になってしばらくしてその本屋は閉店してしまった。
おじさんは元気にやっているのだろうか。
と、バス停前の小さなビルの前を通る度に今でも思う。

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