亡きを送りて帰る心は

有名人の訃報は、昔は「ご活躍の頃は存じ上げませんが」という方の知らせで、遠い世界の出来事のような気がしていました。
それが自分が歳を取るにつれ、祖父母世代ではなく親世代の方が亡くなり、「えーっ、あの人好きだったのに…」とショックを受けるようになっています。

そして次第に同世代の訃報もちらほら聞くようになり、先日も親しかった人が亡くなりました。

もっと若い頃に同世代の友人が亡くなったときは、残された幼い子ども達のことを思うと胸がキリキリと痛み「代わってあげられるものなら」と哀しくなったものです。
アラフィフアラカンともなるとお子さんも既に成人して立派に働いているわけですが、それでもワタシが父を亡くしたときはいい歳して心細かったことを思い出すと、やはり胸が苦しくなります。

50代だと人生まだまだというカンジで、その亡くなった方も「あと10年はこんな仕事をしたい」と日々キャリアアップに努め、熱心に勉強するのを聞いていたものですから、それが唐突に終焉を迎えたと思うと遣る瀬ない。
ワタシなんて「もうワタシ余生だから!」と日々のんべんだらりと過ごして、最低限働いた後はブリ男を構うのみという生活を送っているだけなのに。
これまた「代わってあげられるものなら」と切なくなりました。

訃報を聞いたときは実感が湧かず、知人達と「悪い冗談みたいだよね。あの人、すぐ変な冗談言っていたから」なんて話をしていました。
が、故人に教えてもらった店に行ったりして「ああ、あの人に『行ったよ!』と話したいな」と何の気もなしに思って、それからその相手は小さな骨壺に入ってしまったことを思い出し、そうやって彼岸の人になってしまったことをじわりじわりと実感しつつあります。

こうやって櫛の歯が欠けるように周りの人間が鬼籍に入り、取り残されて老いていくのが今からの人生なのだと思うと、生きるって何だろうと思わざるをえません。

そして、死がすぐ隣にぽっかり口を開けて待っているのを目の当たりにしても、「いつまで生きられるかわかんないから!」と日々全力で努力するでもなく、相変わらず目標もなくだらだらと過ごす己の怠惰さが愛おしいような疎ましいような複雑な気分です。

とりあえず、現役バリバリで扶養家族を抱えたまま亡くなると遺された家族がすっっっごく大変なので、口座とか保険とかスマホのロックとかきちんとわかるようにしておかなきゃね! というご遺族の言葉で〆て、本日は筆を置きます。

投稿者:

りんむじんづ

20代で購入したマンションは、無事にローンを完済したかと思ったら売り払い、30代でまたまたマンションを買いました。好物はマンションの間取り図。旅とグルメにも目がありません。ブリティッシュショートヘアの男子(ブリ男)との同居を始め、ますます極楽な生活を送っています。

2 thoughts on “亡きを送りて帰る心は”

  1. 何と言うか。タイムリーと言えばタイムリーな話題です。

    実は父が夏から体調を悪化させており、今は看取りの段階に入っています。別れもそんなに先の話では無い状態。
    ひとりっ子でファザコンなものですから、毎日泣き暮らしているのですが、それでも仕事はしないといけないし家も整えなくてはいけないし。日々の暮らしは続いていきます。

    生きるって何だろう。何のために生きているのかなって思う日々。
    私は子供がおらず、「次の世代へバトンタッチする」という役目も果たしていないし、仕事でもたいした成果を上げていない。
    私の生きる意味は…などと考えてしまいます。

    せめて最期はまわりに迷惑をかけないように、エンディングノートを作成しましたし、法的効力のある遺言書も作成予定。

    なんかかなり湿っぽい内容になってしまいましたけど、それでもこれからも人生は続いていく(どこまでかわかんないけど)ので、それなりに努力もして楽しみも味わいつつ過ごそうとは思ってます。

    1. ひまわりサマ
      ワタシもパパっ子だったので、父との別れは哀しかったです。
      最期に交わした言葉が父からの「ありがとうね」で、今思い返しても泣けてきます。
      介護していると疲れもあって難しいときもありますが、悔いのない日々をお過ごしくださいね。

      ワタシも世話してくれる人間がいないから、後処理がしやすいように遺言とか用意しなきゃいけないなあ…と、ブリ男が来てから特に思っているのに、なかなか行動に移せません。
      バイタルデータ送信用のチップでも埋め込んで、死んだら行政がさっさと始末してくれる、とかだったらラクなのになあ。

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