実家のカレーには竹輪が入っていた。
竹輪だけじゃなくて豚肉も入っていたし、タマネギ・ニンジン・ジャガイモなどの根菜も普通に入っていた。そして竹輪は毎回入っていたわけでもない。
多分竹輪が余ったとき、あるいは食べ盛りの子どもの腹を満たすための嵩増しに、母が気紛れに入れていたものだ。
竹輪とカレーの組合せは、旨い。
淡白な風味のもきゅもきゅした竹輪がスパイスの効いたカレー味になっているのだ。旨くないハズがない。
カレーうどんに乗っている蒲鉾を想像するといいかもしれない。カレーの竹輪もあんなカンジだ。
竹輪入りのカレーと言うとギョッとする人も多いが、蒲鉾入りのカレーうどんを食べたことがないんだろうか。まさかカレーうどんはネギと油揚げと鶏肉さえ乗っていればいいとか思っているわけでもあるまい。
休日にカレーを作ると「竹輪も入れればよかったな」と毎度淡い後悔がつきまとう。
4人家族にとって竹輪一袋を消費するなんて造作もないが、独り身だと一袋開けると竹輪ばっかり食べる羽目になる。だから竹輪は常に冷蔵庫に入っているわけでもない。
竹輪も竹輪入りカレーもワタシにとっては「家族の食べ物」なのだ。
鍋の〆は何が相応しいか。
という話を友人としていて、すき焼きの最後に蕎麦を入れるのはワタシの実家だけと発覚した。
「普通うどんじゃないの?」と言われて、確かに…と頷いた。
牛肉の出汁が効いた濃い砂糖醤油のつゆがうどんに染みた様子を想像するだけで涎が出る。卵の黄身を絡ませたら絶対美味しい。
が、ウチでは蕎麦だった。
濃いつゆのせいで蕎麦の風味が死んでしまっても、それでも蕎麦だった。
というのも理由があって、しばらくの間「大晦日はすき焼き」という風習が続いていたから。
別に大晦日以外でもすき焼きは出たけれど、今日はちょっと奮発していいお肉を買ったよ! みたいなのはやっぱり大晦日だった。
で、どうせなら年越し蕎麦も一緒に食べようということで〆が蕎麦になった。
大晦日以外のすき焼きはどうしていたかというと、普通に白ご飯を食べていた。
味の濃い牛肉を白飯にワンバウンドさせて食べるほど幸せなことはない。すき焼きにはやはり白いご飯だ。あと焼肉も。
そんなわけで、大晦日以外のすき焼きには〆というものがなかった。
そういえば、初めてすき焼きの〆に蕎麦を投入したとき、子ども心にも「おいおい、それはないんじゃないの」と思ったような気もする。
と同時に「わざわざ別途蕎麦を湯がくのも面倒だよね。大晦日だし」と思う程度の分別はついていたので、黙ってその蕎麦を食べた。
今は友人を招いてすき焼きをするときは〆にうどんを投入するけれど、たまには蕎麦を入れて「やっぱうどんの方が美味しいかもねー」なんて言いながら食べたい気もする。
昔、母に「じんづの『おふくろの味』って何?」と訊ねられて、散々悩んだ挙句「イカとワケギのぬた」と答えたことがある。
母は「えっ、それ?」と驚いていたし、咄嗟にイカとワケギのぬたが出てきた自分にもビックリした。
母の作る料理はどれも美味しい。美味し過ぎて、子どもの頃は合宿などの度にゴハンが不味くて辟易した(今では毎日社員食堂のゴハンを食べているけど)。
揚げ立ての唐揚とか、お弁当に入っていたポテトサラダとか、ハムとチーズを巻いた手作りパンとか、もっといかにもな「おふくろの味」があってもよさそうなのに、本人に訊かれて思いついたのは「ぬた」だった。
ひとり暮らしをし始めて、過去の自分がそう答えたのも何となく理解できる。
ああいう小鉢って面倒くさくてひとりだとあまり作らない。
ワケギはまだいい。加熱してしまえば大した嵩にならないし、第一ワタシはネギとかタマネギとかの類が大好物。
問題はイカだ。
イカは嫌いじゃないが、大量に食べられるものでもない。1杯まるまる捌くとかありえないし、スーパーで売られている切り身でも多い。
冷凍してしまえばいいのだが、一旦冷凍したイカはぬたに出来るほど旨くはない。
結局、少量のボイルイカを店頭で見つけて、それがちょうどワケギのシーズンだったとき、そういうごく限られたときにしかイカとワケギのぬたは作らない。
さらに、母と違って料理嫌いなワタシが小鉢がずらずらと並んだ食卓を用意するわけもない。だってひとり分だもの。面倒くさいじゃん。
というわけで余計にぬたを作る機会が減る。
あれはまさしく家庭の、おふくろの味なのだ。
母は料理に関しては非常にマメで、休日には1日中キッチンに立っているような人だ。
しかし娘を大雑把に育て上げただけあって、そのレシピは実に大らか。
母が作るクッキーは、ワタシにとって間違いなくおふくろの味だ。
ちょっと柔らかめの生地に、ドライフルーツやスライスアーモンドがたっぷり混ぜられている。
丁寧に成形なんてしない。クッキングシートにスプーンで生地を落としていくだけなので、とても荒々しい見た目だった。
まるたやのあげ潮の歯触りがもう少しソフトになったら母のクッキーによく似ている。ああいう素朴な、昭和のお菓子。
ワタシはこの母のクッキーがとても好きで、図書館で借りた本を読みながら何枚も食べるのが至福だった。
素人のお菓子だから仕上がりにムラがある。端っこがカリカリになるほどしっかり焼かれたものもあれば、クッキー生地よりレーズンの方が多いんじゃないかってものもある。そういうのも含めて、好きだった。
自分でもお菓子作りをするようになって母にあのクッキーのレシピを訊ねると、「目分量」と一言返ってきた。
だって何回も作っているんだもの。いちいち計らないわよ。
適当に混ぜて捏ねて、それっぽくなったらドライフルーツを混ぜて焼く。それだけ。
大概の料理はワタシも適当に作ってしまうが、お菓子だけは別だ。ちょっと分量が違っただけで固かったり膨らまなかったりして失敗する。
そういうブレも家庭料理の味のひとつだろうけど、自分で作った失敗作は不味いだけ。
というわけで「お菓子はプロが作ったモノを買う」と割り切って、今は製菓道具を持っていない。
近所にデパ地下も美味しいケーキ屋もあるので不自由はしていない。
が、母のあのクッキーをときどき無性に食べたくなる。
なお、母は健在で、毎日元気に自炊もしているし家庭菜園もやっている。
あのクッキー作ってよ~と童心に帰っておねだりしてみたら「えー、もうずっと作ってないから無理」だそうな。ちぇっ。
昔の職場に長野県出身の男性がおりまして、彼の実家のカレーにはちくわが入っていたと聞きました
しかも、まわりの友達の家もたいてい入ってたよって言ってたんですけど、彼のまわりだけだったのか地域的なものだったのかがいまいちわかりません
で、当時真似してみたんですよ
練り物だし、味が濃くなるかなーっと思ってたんですけどそんなこともなくて美味しかったです
書いてるうちにまた食べたくなっちゃったわ
うちの母が作るクッキーも大雑把だったなw
ピーナッツ(薄皮はついたまま)を入れたクッキーで、スプーンでぼとっと落として焼いたものでした
私が小さい頃にしか作ってなかったのに、今でも何となく味を覚えてる気がします
ひまわりサマ
竹輪カレー仲間がいた!
友人知人に話しても笑われるだけだったので「美味しいのになあ…」と淋しかったのです。
ワタシの両親は長野には縁がないはずですが笑
自家製クッキーはスプーンでボトッがデフォなんですかねえ。
自分で作るようになってレシピ本通りに成形して型抜きして…とかやってみたら面倒くさくて、母のスプーンでボトッなら作業時間が大幅削減なのに! とイライラした覚えがあります笑
ピーナッツ入り、美味しそうです。
久しぶりにスプーンボト方式で焼きたくなりましたが、冷ましている間にブリ男をどうするかが悩ましいところです。
おはようございます!
竹輪カレー…初めてです…でもアリかもですねー、主張しない竹輪、カレーと喧嘩しないですよね…
島根の義兄は、実家では、ジャガイモ入れてたそうです…確かに、肉じゃがと同じですが…日本全国津々浦々ですねー
ここ数年、お菓子、パン作りに凝ってお道具揃えて、せっせと作ったんですが、ニャンコに情熱取られて、作ってないなぁ〜〜
まだむサマ
竹輪とカレー馴染みますよ!
カレーうどんに転用するならぜひやってみてください。
カレードリアにリメイクするには合わないですが笑
にゃんこに情熱吸い取られるの、わかります〜。
キッチンに突撃してくるから料理はホント後回しになりますね。
でも可愛い❤️