旅行が好きです。
本や写真やYouTubeやGoogleストリートビューで自宅に居ながら世界のどこでも見られる時代ではありますが、現地に赴くのには敵わない。
例えば、ごはん。
そりゃ東京に行けば世界中の料理が食べられます。しかも世界トップクラスの味だと思う。
でも、現地の味とビミョーに違うこともあるんですよね。それは日本の気候で日本人に囲まれて食べるからという要素も大きい。
例えば、気候。
アフリカはやっぱり暑いなーと言いながらサハラ砂漠の砂を踏む。
この気候と風があるからこそ細かい砂粒が形成されるのであって、その砂を踏んだときの感触と熱さはネットではわかりません。
例えば、匂い。
同じアジアの路地裏でも、築地と北京と香港では全然違う。
街の喧騒、海の冷たさ、カフェでたまたま隣に座ったおじさんとの会話、そんなのを自分の五感で味わい尽くせるのは、旅に出てこそです。
さて、旅を楽しむために必須だとワタシが考えていることがあります。
それは歴史の知識。
フィレンツェまで行って「ところでルネサンスってなあに?」となるのは(←ウチの理系な姉のこと)、やはりもったいないと思うのです。
別にマニアックな知識は要らないです。
高校の世界史レベルの教養で充分。
発行部数が多い分、山川がこなれていてオススメ。
学習指導要領の変化や出版社の方針で多少揺らぎはありますが、「旅行のときに困らない程度」が目的なら、まーーーこれ以上便利なガイドブックはないですわ。
有史以来の(ほぼ)世界中のトピックスを解説してくれているんですもの。
教科書ではない。読み物だと思え。
世界史の教科書というと、暗記物が苦手な人は敬遠するかもしれません(←ウチの理系な姉のこと)。
でも試験じゃないんだから覚えなくていいんですよ。気楽に行きましょうや。
読むときに注意するのは、細かいことを覚えることじゃないです。
流れを把握すること。当時のムーブメントを理解すること。
教科書の何がいいって、10代の子どもでも理解できるように平易な文章で書いてあります。
そして(一部を除いて)なるべく公平な視点から「何がどんな理由や経緯でこうなった」と客観的に解説してある。
学者や歴史家が主観的に書いた本だとこうはいかないんですよね。研究や考察が素晴らしくても、文章がヘッタくそだったり小難しかったりすると読む気失せるし。
その点、教科書はもっのすごく面白く書いてあるわけじゃないけど、とにかくわかりやすい。
で、その平易でクセのない文章を利用して、脳内で勝手に時代小説や大河ドラマやアニメを展開させるのです。
小説ですから、ストーリーがあるわけですよ。
美女が居て、イケメンな権力者が恋の鞘当てを繰り広げて、いろいろあって国が滅亡しちゃう、的な壮大なドラマが繰り広げられちゃうわけですよ。
そんなドラマが何万と一冊に詰め込まれているわけですよ。そりゃもう妄想力が強い人間には堪らん素材だわ!
二次創作のネタだと決めつけてしまえば、「覚えなきゃいけない」と思っていたときよりすいすいとアタマに入ります。
もちろん他人の妄想力を利用してもよし
世の中には時代モノの創作物がいろいろあるので、それで脳内ドラマを強化するのは有効手段。
ただし、小説でも映画でも有史以来の全世界を網羅していることはありえないので、あくまでも全体の流れは教科書で把握しといた方がいいです。
それに創作物は史実ではないからね。特定の国や時代に興味を持つ一助という位置付けでヨロシク。
高校世界史のフランス革命の記述がやたらと詳細なのは、これが戦犯だと思う。
好きな国や時代ができると、自然とそれに関して自分で調べたくなります。
関連書籍やWikipediaを漁っているうちに「教科書やガイドブックの内容って物足りなかったんだな」と思うようになる。
そうなった頃に旅に出ると、「ああ、この建物でかつてあの人がこんなことを!」と勝手に感激できるようになります。お仕着せのツアーに参加するより濃厚に楽しめますよ。
濃厚に楽しんできた旅、いろいろあります。
旅ログ ~ペトラ遺跡~
旅ログ ~ベルニーニに首ったけ! inローマ~
One thought on “旅をより楽しむためには”